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「センスメイキング/クリスチャン・マスビアウ」(プレジデント社)

「人は何のために存在するのか」
そんな大きな問いについて考える時間を持つのはどうだろう。

今、新型コロナウイルスに関するとても多くの情報があってしかも日々刻々と変化している
関連する政策も発表され、他国と比較して不十分とかいや十分とか遅いとか、いろいろなことが言われる。
その政策の根拠になっているものとして、感染症の専門家や医療関係者による科学的な分析がある。
様々な政策決定において科学的根拠が示されることは、ひとまずは良いことだろう。
これまで「数理モデル」といった言葉がこれほど一般的に多く使われた記憶はない。

ぼくは今の政権を支持していないし、政治全般への不信感もある。もっと言うと民主主義もそろそろ限界じゃないの、とさえ思う。同時に科学的だったり分析的な思考は好きな方だ。

それでも、科学だけでは限界があることはよく知っている。(何せ音楽をやっているのだから。)

この本は、STEM(科学、技術、工学、数学)やアルゴリズム的思考への偏重に警鐘を鳴らし、この世界を生きていく中で本当に重要なものを見極めるためには「哲学、文学、歴史、芸術」が重要だと説く。まあ、そりゃそうだ。といってしまえばそれまでだが、改めてよく考えておくことには意味があるはずだ。

少なくとも、今の政治に「哲学」は感じられない。

近年、大学での「文学部」の地位が下がったと聞く。「小説とか哲学とか読んでも実社会で役に立たない」ということか。でも、それを言う人たちはもっと前には「数学とか物理とか勉強しても仕事では使えない」って言ってなかっただろうか。(それはあなたの仕事かあなた自身の問題だよ、といいたくなる)

今、音楽や演劇、芸術は「不要不急のもの」とされ、特に人が集まるような活動は停止状態だ。
確かに、何より優先すべきは生命の維持、そして衣食住、そちらが先であることは当たり前だ。
しかし同時にこうも言えないだろうか。
「このような緊急事態に直面した時の判断は複雑を極める。数理モデルに帰結できなくて当然。そんな中での判断力を育むものこそ、今不要不急とされている人文学的、芸術的センスである。」と。

最近の脳科学とAIブームあたりで理系優位がほぼ定着したところへの新型コロナだ。
マスメディアの報道でも、SNSでも数理モデル、確率、指数関数とかといった言葉が踊る。それ自体は悪くない。むしろ歓迎している。
しかし、それだけでよいはずがない。

(ヨーロッパのリーダーが、芸術や文化への支援を重視するのは、自分自身の能力がそれらに支えられ、育てられてきたことを、知っているからだと思うがどうか。)

いずれにせよ、どんなに大きな変化が訪れようとも、音楽や芸術を人類が手放すはずがないのだ。歴史を見れば分かる。

最初の問いの部分を引用すると
〜「人は何のために存在するのか」という問いかけに対する答えは明白だ。
「人は意味を作り出し、意味を解釈するために存在するのだ」
そして人文科学の分野は、こうした活動のための理想的なトレーニングの場になる。2000年以上に及ぶ素材を活動の場として提供してくれるのだ。〜

ポストコロナ・ウィズコロナの世界で、音楽や芸術がまた新しい意味や解釈を生み出していくだろう。どうしたらそんな音楽が出来るだろうか。とかそんなことを考えると楽しみでもある。

「センスメイキング/クリスチャン・マスビアウ 著(斎藤栄一郎 訳)」プレジデント社

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